日本在宅ホスピス協会です。新しい年度が始まりました、今年度も皆様、どうぞよろし
くお願い致します。何かご要望等あればお気軽に事務局までご連絡ください。
始めに新役員のお知らせです。以前も役員をしていただいていたホームホスピス宮崎 かあさんの家の市原美穂さんと、今後、在宅ホスピスで重要な多職種連携のキーパーソン となる人材、トータルヘルスプランナー(THP)の育成に力を入れていきたいと思い、THP となる看護師の皆さんに新たにメンバーに加わっていただくことになりました。
<その他>
ホームホスピス宮崎 かあさんの家 市原美穂さん(宮崎県)
<看護師>
在宅ホスピスとちの木 片見明美さん(栃木県)
桜新町アーバンクリニック 片山智栄さん(東京都)
坂の上アーバンクリニック 細田 修さん(静岡県)
訪問看護ステーションななみ 冨士惠美子さん(愛知県)
長尾クリニック 岡本法子さん(兵庫県)
にのさかクリニック 金﨑美穂さん(福岡県)
ナカノ在宅医療クリニック 泊奈津美さん(鹿児島県)
これからどうぞよろしくお願い致します。
現在、HHA のホームページに上野千鶴子さん、小笠原先生の 『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』 と立川在宅ケアクリニックの井尾先生の『幸せな最期』を紹介 させていただいています。また、共著について書かれた上野千 鶴子さんの朝日新聞出版「一冊の本」3月号の巻頭エッセイも 掲載していますので是非ご覧になって下さい。また、会員の皆 様からの感想、他にこんな本が参考になったなども募集してい ます。もし、何かありましたら事務局までお願いします。
また、4 月 4 日に NHK『おはよう日本』で放映された「一人でも自宅で最期を」のリポ ートが 4 月 30 日の朝 8 時台のワールドニュースにて英語で放送されました『。ひとりでも、 最期まで家で過ごしたい。』が海外でも放映される時代です。やはり、世界中の方が最期ま で家にいたいのですね。在宅医療についてもっと多くの方に知ってもらうように今後も活 動していきたいと思います。
さて、今回のニュースレターは新しく役員になっていただいたかあさんの家 市原美穂
さんの夫、いちはら医院 市原美宏先生からのお便りです。
宮崎市郡医師会会報「一語一話」に書いた文章を寄せて頂きました。
旅を終えようとする人に立ち会う いちはら医院 市原 美宏
終末期医療というお題をいただいた。多分お立場によってこの言葉への受け取り方はさ まざまあると思われるが、わたしは、終末期に医療は関与を最小限に控えるのがよいと思 っている。癌末期であれ、脳血管障害であれ、超高齢で老衰に至っておられるのであれ。
ここで何を以て終末期というのかを改めて問題とせざるをえない。お役所や学会でも定 義することはできないし試みることも適当とは思えない。そうして現場の医療の最終責任 者である医師が決めることでもない。多分その人自身、その人のご家族あるいは介護看護 のキーパーソンであるご親族と、関与している医療チームとの間での漠然とした合意がで きた状況、といったことを、私個人としては考えているようである。ここで「合意」はキーワードである。病状、経過の予測、の説明、話し合い、を必要に 応じて何度でも繰り返し、その都度「合意」を確かめていくことが大切で、常に変化する 病状にどのように対応するか、話し合いながら道を選択していくこととなる。これはいわ ゆるインフォームドコンセントと微妙に感触は違うと私は思っている。「合意」は問題が起 こるたび一緒に考えることで得られる信頼関係そのもので、それが得られれば、患者さん ともご家族とも、それを支えるべき医療介護スタッフとも、終末期をともに歩むことがで きると思っている。
医療には何ができるのか、が、次の問題であろう。実は最大の問題かもしれない。現代 医学ではできること(あるいはできるかもしれないこと)が加速度的に増えてきている。 それは看護、介護、あるいはリハビリ、口腔ケアや食物の工夫など実に多方面の分野でも 状況は同じで、日々新しい知識や技術が開発され応用されて、QOLを支え高める実績を あげている。
しかし、人は現に終末期を迎え臨終を迎える。浅学菲才の私は、様々な分野のプロに状 況に応じた対処をお願いしつつ往診診療をしているのだが、終末期に立ち会うことになる 時、それまでに培ってきた「合意」が、ご本人とそのご家族を中心とする医療看護などの チーム全体の思いを一つにする。そこでは別離の悲しみや様々な悔いはあるにしても、人 が生きてその生を完結しようとしていることへの敬意を、共有できる気がする。ホメオスターシスを信頼し尊重する、処置や投薬などの(改善のための)医療をできる だけ控える、人生の最後の旅路を見守る、ときにはともに考える、といったことをいつも 自分の中で確認しているつもりである。自然科学的医学がどこへ行こうとしているのか、 私は気にすることをやめた。人生という旅をどのように完うするかは、その人自身の選ぶ ことであろう。医者は口出しを極力控えて、立会い見守るだけである。
宮崎市郡医師会会報「一語一話」より